趣味としてのピアノ(その23)「スタインウェイの売却」

(2013年9月1日)

 趣味としてのピアノ(その9)「戦争が分けた運命」で既にご紹介しました世界の高級ピアノメーカーの御三家(ベヒシュタイン、ベーゼンドルファー、スタインウェイ)の一つスタインウェイは、レコーディングの90%、ピアノ協奏曲のコンサートでも90%は採用されているピアノの最高級ブランドです。この親会社が2013年7月1日に会社売却を発表したことをマスコミが騒がしく報道ました。

投資ファンドのコールバーグ

報道によれば、7月1日160年の歴史を持つピアノ「スタインウェイ」のメーカーを傘下にもち、米総合楽器メーカーでマサチューセッツ州ウォルサムに本社を置くスタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツ(Steinway Musical Instruments:SMI)は、昨年から身売り方針を示していましたが、米投資ファンドのコールバーグに約4億3800万ドル(約436億円)で身売りすることで合意しました。

SMIによると、コールバーグは、SMIの過去90日の終値平均に33%のプレミアを付けた1株当たり35ドル(6月28日の株価終値を15%上回る水準)で株式を公開買 付け(TOB)を行う。買収総額は約4億3800万ドル(約440億円)で、買収後は非上場企業になる。買収の手続きは9月末までに完了する。

さらに、非上場会社となったあかつきには、SMIはコールバーグのもとで事業再建をめざす。非上場化により、株主の意向に左右されずに経営改革をめざしていく。具体的には、非公開企業にしたあと、SMIは中国やロシア、ブラジルなど急成長を遂げる市場での事業拡大を目指す。というものでした。

7月1日時点での発表資料によると、合意内容の一環としてSMIは他社からの買収案を45日間(「ゴー・ショップ」期間)募ることができるとの条件付でした。しかし、ゴーショップ期間に一段と有利な買収案を呼び寄せられる例は少なく、大抵は身売りする企業が、株主の利益追求に最善を尽くさなかったと訴えられないための方便に使っていると考えるのが普通です。にもかかわらず、他社から対抗案が提示されると予測する投資家がいて、1日朝方に合意が発表されるとニューヨーク株式市場ではSMIの株価が急伸しました。

米投資ファンド「ポールソン・アンド・カンパニー」

SMI株を急伸させた投資家の予想を裏切らず、2013年 8月 15日 になって、米ヘッジファンドのポールソンは、SMI を約5億300万ドルで買収し、非公開化することでSMIと合意しました。

ポールソンは、米住宅市場の崩壊前にサブプライムローン証券の下落を見込んだ持ち高を形成し、名をはせた人物です。ポールソンのSMI買収案は、コールバーグとの合意に設けられたゴーショップ期間中に提示され、ポールソンは、スタインウェイ1株につき40ドルを株主に支払う。取引は9月下旬に完了する。というのがその内容です。

この合意に先立ち、6月に1株当たり35ドルでのSMI買収で、いったん合意していたコールバーグにSMIは12日、ポールソンの名を明かさずに1株当たり38ドルでの買収提案を受けたと発表し、コールバーグに対して3日間で条件引き上げの是非を検討するよう求めていましたが、コールバーグはより有利な条件を出せず計画を断念しました。SMIはコールバーグに約670万ドルの違約金を支払うことで、コールバーグとの合意を破棄するにいたりました。

一方、身売り先に決まったポールソンとの契約には、さらに、他の身売り先を探すことを認める「ゴーショップ」条項が盛り込まれていません。しかし、SMIは一定の条件下で対抗買収案に反応し、ポールソンとの取引が完了する前により有利な提案を選ぶことが許されており、その場合の違約金は約1,340万ドルに上るようです。SMIのしたたかさがうかがえ、さらに今後の予断を許しません。

紆余曲折のスタインウェイの行方

[h_e_steinway] スタインウェイの創始者ハインリッヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェーグ(1797−1871)はドイツ中央部ブラウンシュバイクの南にある、ハルツ山地の森林保安官の息子として誕生し、はじめはオルガン職人となり、パイプオルガン製作に携わるなか、当時流行しつつあったピアノに興味をもち、第1号を1836年に完成しました。

53歳のハインリッヒには4人の男子がおり、長男テオドール(25歳)をドイツに残し、3人の子供を連れてアメリカへ移住。アメリカでピアノ製作を始めたのが最初です。1853年にスタインウェイ・アンド・サンズをニューヨークのアストリアに設立しました。

その後、1880年にハンブルグに工場を建設し、ニューヨークとハンブルグの2箇所から世界へピアノが輸出されるようになりました。しかし、20世紀後半以降スタインウェイの経営は順風満帆とは行かず、1972年のCBSによる買収、その後の複数の個人投資家への売却を経て、1995年にセルマー・インダストリーズの傘下にはいりました。

[smi]

スタインウェイを買収したセルマーは翌1996年8月にスタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツ(SMI)を発足し、1997年にはフルートメーカーのエマーソン、1998年にはピアノ鍵盤メーカーのKlugeを買収、1999年3月には、ニューヨークのピノショールーム兼コンサートホールの『スタインウェイ・ホール』 ("Steinway Hall") を再取得。 同年11月、ピアノプレートメーカーのO.S. Kellyを買収。 2000年1月、ドイツのピアノショールーム、Pianohaus Karl Langを買収。2000年9月、ユナイテッド・ミュージカル・インスツルメンツ (United Musical Instruments, Inc.) を買収。と矢継早に企業買収をしたあと、2003年1月には、グループ内ブランドを再編し、コーン・セルマー (Conn-Selmer, Inc.) を発足させました。さらに、2004年8月、ルブラン (Leblanc) グループを買収し、コーン・セルマーに編入しています。

この企業複合体は、1990年代後半にかけてアメリカ経済のバブルの恩恵を受けて、売上高を急激に増やし、楽器業としては最も高い売上を確保するようになり、財務体質が改善されました。その結果、多くのピアノ製造メーカーが経営難に直面し、良い素材の確保が困難になる中で、スタインウェイはピアノ造りに欠かせない良質な素材を確保する点で優位性を保持することとなりました。しかし、近年、楽器業界は売上高を継続的に伸ばすのが難しく、今回は再度の身売りに踏みきったものと思われます。

ポールソン氏は買収理由について「創業160年で培った製品の質と職人技は、今後、業績が伸びる基盤」と説明。手続きは9月下旬の完了を目指す。その後、買収による非上場化で、既存株主の圧力を避けて大胆な経営改革に踏み切るとみられ、景気回復による富裕層の購買意欲の回復も見込んでいるようです。

アメリカの多くの有名企業が、すでに投資ファンドの傘下に入っています。何年かすれば、利益をいっぱい確保してどこかの投資ファンド会社に転売される運命にあります。ハゲタカ投資ファンドにより、いつしか対象の著名な会社も、ばらばらに解体されたりして毀損させられることがしばしばです。金融資本主義の限界がそこにあります。ポールソン氏がハゲタカではなく、ホワイト・ナイトとして援助し、SMIが再起して、御三家と言われる有名ブランド、スタインウェイの灯を消すことなく、私たちに良いピアノの音色を聴かせ続けてくれる事を願うばかりです。