趣味としてのピアノ(その22)「ピタゴラス」

(2013年1月3日)

かつて三平方の定理を習い、その証明のために頭をひねった方も多いのではないかと思います。私たちは代数で証明したものを習いましたが、幾何学での証明など、証明の仕方は何通りもあるそうです。

また私は中学の音楽で、♯とか♭を使うのは三つまでが限度という指導要領があり、イロハニホヘトと円周上に書いて、右に五つ回れば♯系の調性(トニイホロヘ)、左に五つまわればフラット系の調性(ヘロホイニト)が出る(5度圏)と習ったものの、当時は何故そうなのか分かりませんでした。しかし、これには三平方の定理で有名なピタゴラスが深くかかわっていたのです。

ピタゴラス

[002pythagoras]ピタゴラス(Pythagoras、BC582−BC496)は、ご承知のとおり古代ギリシアの数学者、哲学者で。彼の数学や輪廻転生についての思想はプラトンにも大きな影響を与えました。「サモスの賢人」、「クロトンの哲学者」とも呼ばれました。

彼はイタリアのクロトンでピタゴラス教団を立ち上げました。そのピタゴラス学派、ピタゴラス教団と呼ばれる独自の哲学学派は、哲学界における様々な定理を見出しましたが、有名なピタゴラスの定理に代表されるように、そのほとんどは、現在では哲学というよりも数学でした。

ピアノと無関係のように思えるピタゴラスですが、音律(音階)は紀元前500年代にすでにピタゴラス学派によって作られていたのです。また、同じ音律「十二律」は、「管」を使った別の方法で、古代の中国(紀元前300年代頃)にも成立していました。

倍音と完全五度の関係について

ピタゴラスの時代(紀元前500年代)には音と周波数との関係に関する概念はなく、周波数の概念がないので現代の基準音もなく、最近はやりの絶対音感もない時代の話になるのですが。それでは説明がしにくいので便宜上、周波数の概念をつかわせていただきます。

現代では基準音としてハ長調のラの音(A音)が基準音で、440Hzと決まっています。倍音というのは一オクターブ上のラの音で880Hz、その倍音(はじめの音からすると4倍音)はさらに一オクターブ上のラの音で1760Hzになります。ですから、ある周波数Xの2倍、4倍、8倍、16倍の音はすべて同じ音(たとえばラの音)になります。

倍音には2倍音だけでなく、3倍音、5倍音、7倍音などいくらでもあり、数字が少ないほど、よく共鳴しあう音になります。たとえば、ドと一オクターブ上のド(2倍音)を一緒に弾くと極めて目立つ音になります。またドとソもよく共鳴して目立つ音で(1.5倍音)一オクターブ上のソとの関係は3倍音になっています。この単純な倍音はよく共鳴するので、完全音程といっています。ドレミファソでソはドの五度上の音なのでハ長調のドとソの関係は和声学では、完全5度の関係というように言います。

ピタゴラス音律

さて、元の音を何度2倍しても、あるいは2で割ってもラ(A音)はラ(A音)のままで異なる音になりません。しかし、よく共鳴する3倍音ではどうでしょうか。たとえばド(C音)の3倍音はソ(G音)になります。

ドの3倍音を2で割っても掛けても同じソですが、話を簡単にするため完全五度といいます。ドの完全五度上はソ、ソの完全五度上はレというふうに完全五度を重ねて行くと、12回目にドに戻ることを見つけたのがピタゴラスだったのです。つまり、中学で習った円周上の五度圏による調性は、ピタゴラスが完全五度を重ねて音階を作ったからに他なりません。

上の表は、はじめの音をド(C音)と仮定して、説明していますが、単に倍数だけの問題なので、もとの音はなんでもかまいません。これ、一オクターブのなかに12種類の音ができました。

しかし、音に周波数の概念のなかった紀元前500年代に既にこの音律を考え出したピタゴラスには脱帽せざるを得ません。この音律は「ピタゴラス音律」といわれています。

 

周波数と基準音

ピタゴラス音律が出来たのは紀元前500年代、ドレミの唱法は紀元後11世紀のグィード・ダレッツオ、倍音の発見は1636年、音叉の発明は1711年ジョン・ショア、周波数の発見は1753年ベルヌーイ、第一回基準音435Hzは1859年パリにて制定され、その後1939年には二回目の基準音は440Hzに制定されました。

24の調性

ハ長調とかイ短調とかいう言葉があるとおり、私たちが義務教育で習う洋楽は基本的には調性音楽です。ピタゴラスは一オクターブ内に12種類と音をつくりました。それぞれの音を主音にして長音階と短音階をつくると、24の調性が全て出来上がります。バッハの平均律曲集やショパンの24の前奏曲はこの全ての調性を網羅して作曲されたものです。

ハ音(ド)から完全五度上に順番に上げてゆくと、ト→ニ→イ→ホ→ロ→へ逆に完全五度下げてゆくと、へ→変ロ→変ホ→変イ→変ニ→変トの長音階の調性が出来、この12種類の短3度下の音が短音階の調整になり、24の調性が全て出来上がります(これを五度圏といいます)。

しかし、誤解を避けるために申しあげれば、バッハ(1685-1750)の時代にすでにピアノは発明されていました。しかし、世界に5台(ブランデンブルグ辺境伯が持っていた)しかなく、彼が主に使ったのは、チェンバロかクラビコードという鍵盤楽器でした。ところが、彼の楽器は平均律で調律されていたわけではなく、ピアノの調律を平均律でするのが一般的になったのはショパン(1810-1849)の時代まで待たねばなりませんでした。それで、バッハの「平均律曲集」は誤訳で「良く調性されたクラビーアのための曲集”Das wohltemperierte Klavier”」というのが正しいのです。

どうして基準音がラ(A音)なのか

ピアノの鍵盤には白鍵と黒鍵があります。昔は現在と逆の黒鍵と白鍵だったようですが、一説によると、黒鍵にするために張る黒檀が高価だったので、白鍵と黒鍵を逆にした、などといわれています。まあ、その真偽はともかくも、ピアノの習い始めは白鍵ばかり弾くハ長調のドレミファソを皆弾きます。今でもシャープやフラットがいっぱいある楽譜をみると拒絶反応を起こす方がおられます。それは、音楽の初歩はシャープやフラットのない楽譜を使っていることと関係しています。事実、私たちの中学時代の教育指導要領では、シャープあるいはフラットを使うのは3つまでとされていました。

そういう教育を受けてきた私たちからすれば、ハ長調のドを基準音にすればよいのに、どうしてラ(A音)が基準なのか疑問に感じませんでしょうか。実は、グィードが「聖ヨハネの賛歌」から取った「ドレミ唱法」が出来たのが11世紀ごろに対し、基準となる音が決まったのはもっとあとのことだからです。

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最相葉月(さいしょうはずき)氏の著書が第4回(1997年)「週刊ポスト」SAPIO」21世紀国際ノンフィクション大賞を受賞してから話題になり、絶対音感を重視した子供の絶対音感養成塾まで出来ました。

しかし、それぞれの人々が適当に楽器を調整して歌ったり演奏したりする時代は「ドレミ唱法」が出来てからも1700年初頭まで長らくつづいたのです。

ところが、1711年になって、英国宮廷の楽隊でトランペットを吹いていたジョン・ショアJohn Shoreが、自分のリュート(古楽器:写真下)を調律するために1711年に音叉を発明しました(これが音叉の始まりとされています)。

音叉は現代まで基準周波数発生の道具として長く使われています。振動している両端自由な棒を手で持つと振動が殆ど停まってしまいますが音叉は手で持っても振動が停まらないようにできていて、この性質は実用上、実に重要です。

以後、音叉はその便利さ故に次第に各国に普及しました。昔の音叉を調べるとその時代の音楽演奏に採られた基準のピッチが分かります。モーツアルトが愛用していたピアノの中から音叉が発見されて、その周波数からその当時の基準ピッチが推定されたりしています。

このことから、基準音はジョン・ショアの音叉の発明以降に凡そ決まり始めたのではないかと推定され、そのジョン・ショア音叉の音がハ長調のドではなく、ラだったのではないかと思われます。

周波数による基準音の決定

1711年ジョン・ショアの音叉の発明から遅れること42年後の1753年にベルヌーイが音を周波数で表せる事を発見します。従って、音叉の発明当時は「ピッチ=周波数」という知見はありませんでした。なくても音の高い低いという概念はありますから音叉ができてそれが何Hzの音を出しているかということは知らなくても実用的に音の高さの基準に使うことはできたのです。

その後、音響学が発達し周波数測定ができるようになって「ピッチ=周波数」という知見ができ上がり、1859年には各地で行われる音楽演奏の基準ピッチをそろえるためにパリに全欧州で使われている音叉を提出させ新たな基準として435Hzに統一する宣言をしました。その後、1939年には440HzがThe New Philharmonic Pitchとして国際標準に認められ今日に至っています。(日本音響学会のホームページ参照)

古典調律にはキルンベルガー調律、ベルグマイスター調律など現代で一般に行われている平均律とは異なる調律で行われていました。また最初の基準音が決まったのは1859年で、古典派からロマン派初期には基準音なしに演奏され、しかも音叉の研究により現代よりも低いピッチで調律されていたことが分かっています。

現代ではピッチを上げると楽器の音色が良くなるので基準音よりさらに高い442Hzを使う音楽家もいるそうです、しかし、弦楽器は簡単にピッチを上げられますが、管楽器は上げるのが困難で、ヴァイオリン協奏曲を弾くときには、ソリストとオーケストラとのひともんちゃくがあることもあるそうです。

ピアノも音色が良いからと日本のメーカーが一斉に弦の張力を上げたので、日本製もピアノの音色が大きく変わった時代がありました。しかし、張力がピアノのストレスになり耐久性に問題が出るので、強度を上げるための補強をしなければならなくなりました。しかし、補強は余分な経費がかかることになるので最近では製作経費節減の意味からも、ピッチはそのままに張力を下げる傾向にあるそうです。

将来的にピッチがどのへんに落ち着くのか分かりませんので、小さな子供を塾に入れてまで絶対音感を養成するのは考え物だと個人的には感じます。

まとめ

賢明な皆さんには自明の理だといわれそうで恐縮ですが、私と致しましては、ちょっと賢くなった気分で得意になっております。それから、音律には純正律、中全音律、キルンベルガーやベルグマイスターなどの古典調律と平均律があり、現代で広く用いられている平均律はロマン派以降に一般的になりました。多分小編成の宮廷音楽から大編成のコンサートホールにおけるオーケストラの演奏へと変貌を遂げたことと関係していると思われます。しかし、これらの基本的な音律の考え方は大同小異でピタゴラス音律とそう変わっておりません。紀元前の考えが現代まで通用すること自体驚嘆に値しますので紹介させていただきました。