趣味としてのピアノ(その27)「屈折と複音楽」

山本眼科 山本起義

(2018年4月岸和田市医師会広報掲載)

軽度の近視があるおかげで、遠近両用の眼鏡の近用部分の加入度数もわずかで済んだ私のメガネも加齢とともに見にくくなり、そろそろ限界に達しています。 毎日、患者さんのメガネの処方はしていて、職員が出したデータを最終チェックするのが私の仕事なのですが、私のメガネ処方を最終チェックしてくれる長年勤めた職員が寿退職で次々と辞めてしまい、 新入職員ばかりで、少々心もとないし、20年以上勤めていて、なんでも分かっている師長はメガネの専門家ではないというのがネックになっています。

新入医局員時代の屈折矯正

大学病院にはじめて入局したころには、レフケラトという便利なものもなく、検眼レンズによる自覚的屈折検査が主でした。勿論デジタルではなくアナログ的なレフラクトメーターとかオフサルモメーターはあり、 同級生のYO君は得意でしたが、私は他の新入医局員同様そのアナログ器械も検影法も習熟度はゼロの状態で、かといって、教授にお願いするなど恐れ多くてできませんので、先輩の先生方にお願いして矯正視力を出していました。

境目のないバリラックスという遠近両用が出てきたのはそのころだと思います。まだ主流は境目のある二重焦点レンズが主流でした。当時は、白内障手術といえば、水晶体全摘出が主流で、 眼内レンズ(前房レンズ)を入れている先生が少数派ながら居た程度でした。新入医局員のころは、先輩の先生からは、無水晶体の患者さんの術後は調節力がないので、これで検影法を練習すればよいといわれて練習した記憶があります。

なんでも網膜のせいにしたがる医局員

網膜専門の故宇山昌延教授の門下に私は属していて、網膜に関しては厳しく仕込まれましたが、斜視弱視屈折に関して得意な教室員は少数派でした。
しかし、病棟および外来手術のスケジュールを決める役が私にあり、敬遠される斜視手術は結局わたしがすることになるので、手術件数は他の医局員より多い方でした。

当時名声をきき、網膜専門の宇山教授に斜視手術を希望する方がおられ、後にも先にも宇山先生がされた斜視手術は私の記憶ではこの方だけだったと思います。
医局員やORTのSAさんとかTOさんらは、宇山先生がどんな手術をするのか興味津々で、お手並み拝見という感じでした。患者さんは45ΔBin以上もあるのに、輻輳すると正位になることもできる特異な方で、MLFと言われていました。 当時の斜視弱視のチーフの上原先生にアドバイスをもらったあと、平医局員の私と教授との二人で手術しましたが、いつも指導を受ける立場の私に、使う糸の種類を教授が尋ねるという異様な構図の手術になりました。 しかし、当時のコンベンショナルな網膜剥離手術は大抵30分ぐらいでいつも終える宇山先生は、外眼筋の扱いに慣れていて、あっという間に手術が終わり一発で斜視を治してしまったのには医局員全員が驚かされました。

斜視弱視では屈折検査が出来ることが必須ですが、宇山門下生の私たちの専門分野は網膜でしたので「此処の医局の眼科は、視力がでないと、なんでも網膜のせいにしたがる」と 上原先生は厳しく仰り、最後に信じるデータは自分しかないので、「検影法はかならずマスターしておくように」と言われた記憶があります。

しかし、本当に、自分のデータに私自身が信頼できるようになったのは開業してからでした。当時、屈折のメッカは奈良医大の西信教授の教室でしたが、此処でも、やはり、 検影法以上の方法はないと言われていました。その後、新しいレフケラトが出て、今は3世代目ですが、ミサイルが敵機を追尾する自動追尾装置がついているとか、ケラトメータがついているとか、いろんな付加価値をつけてはいますが、 どうも、測定法式は同じで、(私が知らないだけかもしれませんが)この面での進化はなさそうです。

開業後の屈折矯正

開業した当時は90〜100人一日に診察していましたので、全員スキアはまず無理で、どうしても器械のデータに頼っていました。しかし、その器械のデータがかなりいい加減のものであると気付くのに、およそ5年間かかりました。 レフケラトが販売されて、各社の比較という特集が眼科医会の雑誌でありました。そこで見た結果に唖然としたものです。とくに、データの測定誤差で、乱視の軸の誤差は最大90°と書かれているではありませんか。それでも、自分のスキアの値よりも器械が出す値を信用していたので、その後、頻繁にスキアするようになるまでの5年間、厳しい事をスタッフに言って、申し訳なかったと反省しています。

最後の砦の板付きレンズが風前の灯火に

それで、いまでも板付きレンズとレチノスコープをつかった、ハイテクとは無縁の検影法を日々使っていますが、この検影法をできない新しい先生方が増えているそうで、とうとう、板付きレンズの販売も一部を除きなくなり、風前の灯となりました。私は、数年前に東和産業に残っている最後の在庫の2組のうち、一組を買いました。どうして、細々とでも板付きレンズが生産されているかと申しますと、医者は使わなくなっても、レフケラトの器械は高価なので、眼鏡店では今でも板付きレンズを購入するという、需要があるからだそうです。

進化の恩恵は自分には被れない

私は、検影法を習熟できたのですが、職員は出来ません。おまけに、瞳孔間距離の測定も自分ではできません。そして、かつて瞳孔間距離を測定してもらって、眼鏡店にもっていった処方箋と眼鏡店で測定した瞳孔間距離が随分と違っていたこと。屈折検査に堪能な職員は辞めてゆく。そんな事が、いまだに私のバリラックスは新しく出来ない理由の一つになっています。

コンタクトと眼内レンズ

少子高齢化社会となり、遠近両用の需要はコンタクト、眼内レンズともに高まっていると思います。私のところは、コンタクト診療所ではありませんので、 コンタクトを希望する方が稀で、さらにまれな遠近両用を希望して来院されるかたはほとんどありません。 しかし、今まで、コンタクトをしていて、遠近にしてはどうかと相談される患者さんはたまにいます。そこで、お試しをわたすのですが、購入まで至ったことがありません。

コンタクトを普段している方は、はっきり見えたいという欲求が強いので、折角コンタクトをしたのに、ぼやけるということに我慢がならないケースが多いからです。 白内障手術の場合は、すでに入れた眼内レンズを遠近両用に取り換えるケースはまれだと思いますので、大抵は初めての経験になります。遠近両用の眼内レンズの特性をよく理解している方の場合はよいのですが、「遠くも近くも同時に見えて、遠くか近くかの判断は自分でする。」という事を、高齢者で順応できない場合、トラブルの原因になることがあります。

ポリフォニー(複音楽)

 遠近両用の使用方法という前口上がながくなりましたが、音楽史上、バッハ、ベートヴェン、ブラームスは三大Bなどといわれていて、音楽史上大きな功績を遺した作曲家で、 特にバッハの平均律はキリスト教の旧約聖書、ベートヴェンのソナタは新約聖書などと言われていて、音楽を勉強するものの欠かすことのできない教材となっています。 しかも、この教材は、単に練習曲というものではなく、音楽性にも優れていて、後世の作曲家に多大な影響を与えていることはご承知の通りです。

 単音楽(ホモフォニー)と複音楽(ポリフォニー)を簡単に申しますと、ホモフォニーでは、ある旋律とその伴奏からなっている音楽、ポリフォニーでは複数の旋律が複雑に絡み合う音楽と言えます。 ポリフォニーは中世北フランス、ベルギーあたりを中心にして起こった高級な音楽技巧で、イギリスのジョン=ダンスタブル(1380−1453)やベルギーのギレ=バンショア(1400−1460)がこの対位法の技巧をよく用いました。またネーデルランド派のデュフェー、オケゲム、オブレヒトがカノンの技巧を進化させたとされています。ネーデルランド派による対位法音楽は、ラッソ(1532−1594)やスウェーリンク(1562−1621)で一地方の特技という時代は終焉をむかえ、その後はヨーロッパ全土に広がりました。

平均律クラビーア

 ポリフォニーといえば、ヨハン・セバスチアン・バッハ(1685−1750)抜きには語れません。古典派の音楽は、バッハ、ヘンデルに起こり、ハイドン、モーツアルト、ベートヴェンの終わるのですが、 その時代の初期(バッハ、ヘンデルの時代)をバロック時代と呼んでいます。 バッハの平均律クラビーア曲集というのは、勿論鍵盤楽器ですが、オルガンとは区別して、チェンバロやクラビコードの事を指します。 1700年にはピアノは発明されていましたが、バッハの平均律クラビーア曲集は、ピアノのために書かれたものではなく、チェンバロやクラビコードのために書かれたものでした。

演奏会でよく使われるチェンバロは強弱の表現が出来にくいので、バッハは家庭で楽しむため小さな音しか出なかったクラビコードですが、 それでも強弱の表現ができたので、好んで使ったといわれています。しかも、バッハはポリフォニーの作曲に神業を示して、やりつくしたために、後に続くものがなかったといわれています。 したがって、バロックはバッハで終わり、バッハの次男エマヌエル・バッハ(1710−1788)からは、ソナタ形式の時代に突入するのです。

平均律には二巻あり、それぞれに24の全ての調性が含まれていました。個々の一曲は前奏曲とフーガの組み合わせで成り立っており、このフーガはポリフォニーで作曲されています。 演奏の難しさは、例えば4声なら、ソプラノ、アルト、テノール、バスというように、それぞれが意味あるメロディーを奏でることにあります。  声楽の場合とか、弦楽4重奏などでは、それぞれ音色が違うので、どの声部でどのようなメロディーが演奏されているのか分かりやすいのですが、 チェンバロでは同じ音色で各声部を演奏することになるので、聴き手の能力と演奏家の能力が必要になります。 まず主題が提示され、これを完璧に模倣する音楽をカノンといいますが、フーガでは、そこまで厳格ではなく、ある程度の自由度があり、ただ、曲の途中で、テーマが出始めるときには、明確にそれを表現する必要があります。

現代のピアノでは、強弱は容易に変えられますので、テーマの声部を強く弾けば比較的簡単ですが、チェンバロではそれができないので、いろんな工夫が必要となります。 逆に、現代のピアノで弾くときの注意としては、テーマが出るときに右ペダルを踏むと判別が困難になるので、テーマが出ているときは、左ペダルは踏んでも右は使うなと言われます。  もともと、人間の耳からの情報は、雑踏の中でも相手の言葉が分かるように頭で処理する能力があると言われていますので、聴衆の能力も総動員して聴いてもらうという事になります。 まあ、クラッシック音楽は、「忠臣蔵」のようなもので、あらかじめ聴衆が筋書を知っているから成り立つようなところもあるかと思います。つまり、奏者がチェンバロで技術的に表現が無理なときは、 聴衆がその芸術音楽をあらかじめ学習しておいて、演奏会では自分で耳を澄まして楽しんでくださいということになります。

眼内レンズの遠近両用

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遠近両用の眼内レンズは、遠くも近くも同時に見えるけれど、遠くか近くかの判断は個々の患者さんの能力に任せるという事で成り立っています。人生経験豊かな高齢患者なら、可能だろうという期待のもとになっています。つまり、「忠臣蔵」の筋書を知っている観客には、大いに喜ばれても、知らない観客には歓迎されないのです。 遠近両用の眼内レンズの主流は回折型ですが、最近では昔の二重焦点レンズ(境目のあるメガネ)と同じように、遠くを上、近くを下で見るレンズとか、遠・中・近の三点の焦点に対応するレンズまで出てきているようです。

三重カノン

 神業的なポリフォニーの作曲家のバッハは、普通、フーガではテーマがひとつで、そのテーマで、手を変え品を変え、変奏して曲を形成してゆくのが定石ですが、そのテーマを平均律第二集の14番フーガでは三つ作って、三重カノンとして曲を成し遂げています。 ところが14番フーガの曲の構成は、前半は第一主題のみ、中間部で第二主題と第一主題のからみあい、後半では第三主題と第一主題がからみあい、最後は下記の楽譜のように、第一、第三、第二の主題が絡んで、コーダは第一主題で締めくくります。ここまでくると、演奏云々だけでなく観客も「忠臣蔵」のように、筋書をあらかじめ知っておいてもらわないと、理解困難ではないかと思います。(以下に譜例を示します。)

三重焦点レンズ

三重焦点の眼内レンズが今後主流になってゆくのかどうかは分かりません。しかし、バッハのこの曲はあまり人気があるとは言えません。何度も聴くと素晴らし曲で、最近私は、このフーガにのめり込んでいます。しかし、そこに至るまでには、なんて退屈な曲だろうと思っていた時期が長くありました。3重焦点レンズも、多分使い慣れれば、素晴らしいものになるのだろうとは思われますが、余命わずかの超ご高齢の方にその労力を強いるのは少々酷かもしれません。今後の推移を見守ってゆきたいと思います。