趣味としてのピアノ(その20)「日本のピアノの原点」

(2011年9月31日発行医師会広報掲載)

  最近インターネットで上のような写真を見つけました。どこのメーカーのものかお分かりでしょうか。左は日本のヤマハ(セミコンサート1928年製)、右はドイツのベヒシュタインですが、このヤマハはベヒシュタインの装飾をのぞけばそっくりの形をしています。このピアノの最初のオーナーは東急電鉄の創始者、故・五島慶太氏だったそうです。

 

用語の説明を本論の前に申しますと、図左上はグランドピアノのフレームの各部の名称、右上はその下にある響板とコマ(bridge)の関係を示します。ピアノの弦はピンブロックにあるチューニングピンとヒッチピンとで張られていて、弦の振動はコマを通して響板に伝わるようになっています。

もともとはクリストフォリ(Bartolomeo Cristofori di Francesco, 1655-1731) が、チェンバロという鍵盤楽器のボディーを使って作ったのがピアノの最初で、そのチェンバロはヴァイオリンやギターなどと同じで、現在でも演奏者自身が調律する楽器です。

クリストフォリのピアノは既に現在のピアノの基本設計を備えていて、違う点はチェンバロと同様で上の図のように金属フレームが無く、大変軽い楽器だったようです。チューニングピンとヒッチピンの間に弦が張ってあり、コマを通して響板に音が伝わり、音が増幅される仕組みです。

しかし、強靭な鋼鉄製の何本もの弦を張ると響板が弦圧に耐えられないので、上図のように響板を支える金属製のフレームをつけるようになりました。金属フレームを採用したために、ピアノは大変重い楽器になりました。さらに、ピンとフレームが接すると雑音の原因になるので金属フレームとピンは離れています。しかし、このピンがぐらつくと、音程が安定しません。また、チューニングピンからコマまでの音だけ鳴らしたいのに、コマからヒッチピンまでも振動が起こると、これも雑音の原因となります。

そこで、上記のようにコマとヒッチピンとの間にはフェルトをかませて、雑音を低減し、アグラフの発明により、コマとチューニングピンとの間ではなく、コマとアグラフの間の弦を振動させることで雑音の少ない澄んだピアノの音を出すようにしました。2003年までこの方式を守ってきたのがベヒシュタイン(独)であり、日本製ではディアパソンDR300が今でもそのフェルト方式を守っています。

総アグラフ

写真左上はヤマハ、右上はかつてのベヒシュタインで総アグラフが使われています。写真下の左はヤマハ、下の右はベヒシュタインです。フレームにあけてある円形の穴に施した飾りつけまで真似る必要があるのか疑問ですが、ヤマハは忠実にベヒシュタインのデザインを複製しています。

 

当時はヨーロッパの一流ピアノ(ベーゼンドルファー、プレイエルなど)の多くが一本張りで、ヤマハもこれに習って一本張り調弦方式を取っています。(今現在の日本製で弦の一本張り調弦はディアパソンだけです。)

一本調弦方式

上左は1928年製五島氏のヤマハ、上右はディアパソン(日本製)DR300でどちらも一本張り調弦です。エール・シュレーゲルの指導から2年後の1928年製の五島氏所有のヤマハはここまで真似しなくてもと思うぐらいベヒシュタインそっくりです。ベヒシュタインからノウハウを吸収し、世界最高峰のピアノを作りたいという当時のヤマハの技術者の意気込みはすごかったのだと思います

上左はディアパソンDR300で、ベヒシュタインと同じ一本張調弦方式、上右はスタインウェイで普通調弦方式です。DR300ではヒッチピンの下に赤いフェルトが置いてあり、フェルトで弦の振動を押さえていますが、スタインウェイでは弦の下にアリコートがついていて、ヒッチピン以下の弦は勿論、弦の振動をフレームにまで伝える方式が取られています。

勿論モダンピアノと言われる現代のピアノでは一本張りが少数派で、ヤマハもカワイを含む殆どのブランドはスタインウェイなどと同じ普通調弦でアリコート付に変わってきています。

演奏会場の騒がしい米国

スタインウェイはもともとドイツでグロトリアンと共同でピアノを作っていましたので他のヨーロッパのメーカーとピアノの作りはほぼ同じでしたが、経営難から、長男をドイツに残して新天地のアメリカへ家族で渡りました。ところが、ヨーロッパのホールと違って、音響状態の悪いホールであったり、あまりお行儀の良くないアメリカ人が観客であったり、ジャズやロックなど静かに音楽を聴く環境に乏しいなかでも聞こえるピアノが求められるようになりました。つまり、澄んだ音色とか音質の良し悪しよりも、少々雑音があってもパワーが優先されるピアノが求められました。

そこで、響板のみ響かせて、他の雑音は響かないようにするベヒシュタインのような伝統的なピアノ作りから、ありとあらゆるものを共鳴させて、パワーを得ようとするピアノ作りへと方針を転換させたスタインウェイは米国で広く受け入れられることになりました。そのパワフルな音にするためのアイデアの一つがカポダストローバでした。

高音の音の貧弱さをカポダストローバからフレームへと音が伝わることでパワーアップさせ、それから、ベヒシュタインでは鳴らさないようにするためにフェルトを張ってあった部分をアリコートに変更することで、積極的にフレームを共鳴させることでパワーアップがはかられました。コマからアリコートまでの距離を調整することで、倍音を響かせその倍音をフレームに伝えて共鳴させ、パワーを得ようとする設計変更がおこなわれました。(上図)

勿論、中音から低音にかけては、もともと十分なパワーがあったので、巨大な雑音の塊と化すのを防ぐために、アリコート方式+アグラフが採用されています。(下図)

アメリカナイズされてきたヨーロッパ

そうこうするうちに、ヨーロッパの演奏会場もお上品な演奏会ばかりというわけには行かなくなり、ジャズ、ロックも頻繁に取り上げられるようになり、ヨーロッパのピアノにもパワーを求める声が多くなり、現在は高音がカポダスト+アリコートで中音から低音にかけてはアグラフ+アリコートのピアノが主流となっていて、ベヒシュタインも2003年ついに総アグラフ方式から決別することになりました。

日本のピアノの原点

日本では山葉寅楠が1887年にオルガンを、次いで1900年にアップライト、その後1902年日本楽器製造(ヤマハ)として、グランドピアノの製造を始めます。それから、1926年にはベヒシュタインの技術者「エール・シュレーゲル」氏を招請し技術指導を受け製品改良を行いました。戦前の世界最高峰のピアノはベヒシュタイン、ブリュートナー、ベーゼンドルファーでしたから、当時トップブランドのベヒシュタインからノウハウを吸収しようとしたのは当然のなりゆきだったのでしょう。

その後、昭和2年(1927)、「日本楽器製造株式会社(現ヤマハ)」から独立した河合小市が「河合楽器研究所」を設立。ついで、ヤマハの技術者大橋播岩(オオハシ ハタイワ)1948年(昭和23)と馬淵真蔵が「浜松楽器工業」を創設し、「ディアパソン」を製造。さらに、石川隆己1934年(昭和9)は日本楽器、河合楽器製作所で研鑚を積んだあと「三様楽器」を創設し、その後1948年(昭和23)に「東洋ピアノ製造(アポロ)」を創設。と続きますので、日本のピアノの源はヤマハにあるといっても過言ではありません。

日本製ピアノの異端ボストン

 上記の3大ピアノブランドの系譜は、実際はもっと複雑ですが簡略化しました。現在日本で生産されている主なブランドはピンクで表現しています。ヤマハはベヒシュタインから技術指導をうけましたので、ヤマハから出発し、ヤマハが輩出した技術者の設計した日本のピアノブランドはあまねく基本的にベヒシュタインサウンドを受け継いでいるといえます。例外はスタインウェイが設計しカワイがOEM生産しているボストンです。カワイが生産しているので、カワイに似てもよさそうなのですが、スタインウェイの設計と指示に忠実に製作された結果、日本製でありながらボストンだけは異色で日本のピアノのどれにも似ていません。ボストンが一番似ているのはスタインウェイだということがこの図からもお分かりいただけると思います。

アイデンティティーを守る3大高級ブランド

現在の世界3大高級ブランドはスタインウェイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタインで、創業の頃は各社とも個々に設計が違うので、当然音色も違い、それぞれに個性がありました。現在はこの3ブランドの設計は極めて似通ったものに成っていますので、極端にいえば同じ性格のピアノになってもおかしくないのですが、一流ブランドというのは、自社のアイデンティティーを大切にしていますので設計は似かよっても、それぞれのブランドの個性を守り、伝統的な音色を守っています。

ベヒシュタインサウンドを引き継ぐ日本製

ヤマハ、カワイをはじめとする日本のピアノは欧米各社の技術を取り入れたり、独自の改良を重ねたりして随分よくなりましたが、音色はいまだにスタインウェイでもベーゼンドルファーでもない音です。

日本では、スタインウェイやベーゼンドルファーの演奏を聴く機会は少なからずありますが、ベヒシュタインを設置しているホールは少なく、殆ど聴く機会はありませんので分からなかったのですが、最近ベヒシュタインをよく弾くようになって、はじめて日本のピアノの音色が、スタインウェイ、やベーゼンドルファーではなく、かつて教えを請うたベヒシュタインサウンドを各社のアイデンティティーとして伝統的に引き継ぎながら改良していることに気がつきましたので、その由来を調べてご紹介させていただきました。