趣味としてのピアノ(その8)「ポカリスエットとラフマニノフ」

(H17年岸和田市医師会広報より)

 スギ花粉の季節がやってきて、花粉症の患者さんにとっては、つらい季節になりました。 猛暑の翌年にあたる今年は記録的な花粉の飛散量だそうです。10年前にも花粉が大量に飛散し、 患者さんが殺到して、インタール点眼が薬剤卸の在庫からなくなった記憶があり、その前年は、 やはり記録的な猛暑のため、私も初めて気温40℃を体験しましたし、 また、立寄った大学の医局で雑談したとき、「大塚製薬のMRがきて、 『今年は、暑さでポカリスエットが大変よく売れたので、点滴などはあまり一生懸命宣伝しなくてもよいのですが。』 などと、感じの悪いことを言っていた。」と後輩の彼は言っておりました。 かくして、大塚製薬は、潤沢な財源を元に大塚美術館をつくったのであります。

阪神淡路大震災の野島断層と大塚美術館のコースは医師会のレクレーションにもなりましたし、 多くの人が訪れ鑑賞した精巧な陶版画は、ある団体の先生に、ルーブル美術館へ行くチャンスのあるパリで、 「大塚美術館をみたから、わしはホテルで寝とく。」と言わしめるほどであったようです。

ところで、人気のある泰西名画は、しばしば日本の展覧会で眼にするのですが、 人気のない作品となると実際に眼にする頻度は急に低下します。 具体的には、多くの作曲家が影響を受けた、アノルト・ベックリン(1827−1901)の作品「死の島」などは、 その部類の作品になるのではないかと思います。 それで、1000点あまりの泰西名画を実物に近い形でいつでも鑑賞できる大塚美術館の存在は、 少なからぬ意義があります。私も2度この美術館を訪れ、以下のベックリンの絵画を鑑賞することができました。

「扉をこつこつと叩いた音にもぎょっとするような、そんな静けさを描いてほしい」という依頼に応じて生まれた作品だそうで、 人工的に墓として削られた島で、中央には、古来死の象徴とされた黒々とした糸杉があり、 「死の島」に今まさに滑り込もうとしているのは、この島の新たな住人つまり死者であると解説されています。

これをみて、すぐ思い出したのは、この絵画に感銘をうけ作曲した ラフマニノフ(1873−1943、作曲家、指揮者、ピアニスト)のことです。 しかし、どうもラフマニノフの作品にある暗いイメージより、いやに絵画が明るすぎるので、 帰ってからもう一度ラフマニノフの解説書を紐解いてみましたところ、ベックリンはこの絵画で、 6バージョンを描いており、ラフマニノフに感銘を与えたのは、以下に示す別のバージョンであることがわかりました。

先の作品が正面からの構図で、渡し守が水先案内を務め、船頭がオールを漕ぐという「動」が描かれているのに対し、 このバージョンではやや斜めから描かれて、全体に大変暗く、無表情で白い布をまといあたかも 凍りついた死体が立っているがごとくの渡し守を中心に据え、唯一、人間の「動」を感じさせる船頭が次に続く構図は、 生と死の境界が船頭の前にあることを暗示しているようであり、棺を載せ、三途の川をわたり、死の島の港(彼岸) に今まさにたどり着こうとしているボートは、不気味で、私たちの目を釘付けにしてはなしません。 このような絵画の傾向は20世紀初頭の当時のドイツの傾向であったようで、シェーンベルク、マックス・レーガーらに 影響をおよぼし、ラフマニノフも、このベックリンの作品に感銘をうけて、交響詩「死の島」を作曲しました。

昨年は猛暑と、記録的な大災害がつづきました。今年のスギ花粉症が製薬業界の思惑通りかどうかは分かりません。 しかし、前回の猛暑は、ポカリスエットの売り上げを伸ばし、パリやライプツィッヒでしかみられないベックリンの絵を、 ほんの少し身近なものにしてくれました。今回の「趣味としてのピアノ」はいささかこじ付けがましい話で恐縮でしたが、 音の出ない広報では、ラフマニノフの作品の説明をするより、絵を見ていただいた方が、 ラフマニノフのイメージをつかみやすいと思い紹介させていただきました。