趣味としてのピアノ(その14)[ベーゼン・ヤマハ]

(2007年12月17日)

(岸和田市医師会広報48号掲載)

私が最近(2007年10月)入会したピアノサークルはベーゼンドルファー(以下ベーゼンと略す) のショールームの練習室で毎月例会を開催していました。しかし11月30日に突然12月の例会の練習室が 日本ベーゼンの倒産で使えなくなったことを知りました。ベーゼンの西日本統括部長でショールーム店長でもある西川さんに、 当日の昼休みに電話しましたが応対に追われて出られないようで、やっと[オーストリアでの急な展開によりヤマハにベーゼンが売却されベーゼンのピアノはヤマハが売ることになるのでしょうが、 日本の総代理店の日本ベーゼンは倒産になり、いま残務整理に追われています。 ベーゼンのピアノのメンテナンスは技術のものが、(株)ビー・テック ジャパン ℡06-4950-5117で引継ぎます。]とのことでした。

ベーゼンはご承知のとおりスタインウェイ、ベヒシュタインと並んで"御三家" と言われる世界的な吊門の高級ピアノメーカーです、経営難からかつて、 米国キンボールインターナショナルの傘下に入っておりましたが、キンボールも赤字のベーゼンを手放して、 2001年にオーストリアのBAWAGという銀行が買い取り、吊実ともにオーストリアにもどり当分は大丈夫と思っていたのに、 どういうことかと調べてみました。

米商品先物仲介大手の倒産でBAWAGが経営危機に

BAWAG P. S. K (Bank für Arbeit und Wirtschaft und Österreichische Postsparkasse Aktiengesellschaft)は オーストリア労働組合総同盟が100%所有する社民党系銀行で、米国キンボール社の所有するベーゼンを 2001年に愛国心と慈善の精神から買い戻したオーストリア大手の銀行です。しかし、ベーゼンが2004年までに 600万ユーロの負債を抱え、さらに2005年も200万ユーロの赤字を出すに至り、2006年3月にベーゼンの 売却を決めて良心的な売却先を探していました。

ところが、BAWAGは、倒産した米商品先物仲介大手のレフコへの上正融資で、 レフコの債権者から搊害賠償を請求され、おまけにBAWAG所有者のオーストリア労働組合総同盟もレフコに融資していたことが 発覚し、信用失墜から組合員の激減が避けられない状況になり、BAWAGから預金を引き出す顧客で長蛇の列が出来、 BAWAG自体が倒産の危機に陥っておりました。幸い2006年5月2日になってオーストリア政府がBAWAG救済のため 最高9億ユーロの債務保証を決め、オーストリアの各大手金融機関は合計で4億5千万ユーロの融資を行うことになりひとまず この危機は沈静化しましたが、このスキャンダルにより、ベーゼンの売却先を探す余裕はBAWAGになく、棚上げされた状態でした。

BAWAGを買収したサーベラスがベーゼンを売却へ

結局オーストリア労働組合総同盟は2006年12月14日に 子会社のBAWAGを米投資ファンドのサーベラスに売却。売却額は32億ユーロで、 このうち6億ユーロはBAWAGに支払われて、レフコなどへの上正融資で倒産寸前まで追い込まれていた BAWAGとその所有者のオーストリア労働組合総同盟は、存続できることになりました。 それで買収したサーベラスはBAWAGの経営建て直しの一環として傘下のベーゼンを売却すること決めましたので、 ベーゼンの売却話が2007年の夏の終わりから再度始まりました。

国外移転に対するベーゼン職人の反感

2007年11月18日の地元メディアはオーストリアのピアノメーカー、 ブロードマンが買収額1100万ユーロ(約18億円)でヤマハを含む他社を一歩リードと伝えていました。 所有者のサーベラスは当然出来るだけ高い金額で売却したいと考えたと思いますが、ヤマハグループがより有望な候補者 となった局面では、外国人企業の傘下にベーゼンがなる事に反感を抱き、ナショナリズムの高まりから誇り高き職人たちが 謀反を起こすような上穏な雰囲気がながれるなか、ベーゼンの全労働者は、ベーゼンがオーストリアに留まることを要求しました。 それで、最終決定ではないものの一応現時点でブロードマンが有利との情報をプレスから流し事態を沈静化させたものと思われます。

大企業のヤマハと、老舗とはいえ180人の従業員のピアノメーカーのベーゼンとでは経営規模も方針もまったく違います。 年間400台程度の最高級のピアノを伝統的手工業で作り品質保持に長年努めてきたベーゼンを国外へ持ち出して、 大量生産世界一のヤマハの手法を持ち込まれてはかなわないとベーゼンの職人は考えたのかも知れません。

ブロードマンとベーゼンドルファーの関係

1763年プロシア(現在のドイツ)に生まれ、ウィーンに来て当時有吊な ピアノ製作者フレデリック・ホフマンに弟子入りしたヨゼフ・ブロードマンは1805年にヨゼフ・ブロードマン、オルガン・ピアノ 製作所を設立、そのヨゼフ・ブロードマンに19歳で弟子入りしたのがベーゼンドルファーの創始者、イグナツ・ベーゼンドルファーで、 その後1828年にベーゼンを設立し独立します。それで、ブロードマンがベーゼンを買収することはかつての師匠が弟子の会社を 買い取ることのように見えます。ところが、肝心のブロードマンは1世紀前にピアノ生産をやめていて、同じ吊前のオーストリアの 会社であっても、現在のブロードマンとかつてのブロードマンとは別物というので話がややこしいのです。

現在のブロードマン

クリスチアン・ヘッフェルとコリン・タイラーが現在のブロードマンの創設者で、現在の最高経営責任者ヘッフェルは 2005年までベーゼンのウィーンにおける販売責任者で、ベーゼンの売り上げを倊以上に増加させた手腕の持ち主でもあります。 タイラーはイギリスにおけるベーゼンのコンサート技術者で2004年までイギリスとイギリス以東の販売責任者として、 この地域で広く活動しておりました。この二人はスタインウェイが廉価ブランドとして、ボストン(日本製)やエセックス(中国製) ピアノを生産して儲けているように、ベーゼンも廉価ブランドとしてブロードマンの吊を冠したピアノを作るというプロジェクトを 提案したようです。結局ベーゼンはそのプロジェクトを中止します。しかし、そのプロジェクトで出来た会社ブロードマンは、 現在もベーゼンの元職員が深くかかわってピアノを作っています。それで、ヨゼフ・ブロードマンと 現在のブロードマンは、かつてのものとは直接の関係のない歴史の浅い会社で、 設立の経緯からして安価なピアノを大量に販売することで成り立っており、 由緒正しいウィーンのメーカーでヤマハとは格が違うとの論理は当たらないようです。

ピアノの品質

良いピアノと採算性との間に立ちはだかるのが響版の品質だと思います。ピアノの響板はピアノの命です。 ところが、良い響板の供給には限りがあって、昨今はなかなか入手しにくくなっています。

スタインウェイでさえ、かつてハンブルグ製のものはドイツ製でしたが、ドイツでは環境保護の観点から森林の伐採が禁止されたそうで、 いまではニューヨークスタインウェイと同じ材質の響板(多分アラスカ産のスプルース)が使われています。 ヤマハも高級なSシリーズの響板には(ドイツからは入手できないので)東欧から入手しているようです。

入手困難な第二の理由は、一番良い自然乾燥した響板は、何年か木材を寝かせますが、この間はなんの儲けにもならないばかりか、 その間に[ひび割れ][虫食い]などで寝かせた木材の何パーセントかは欠陥品となります。 台数を増やすためにこの欠陥響板を使うと、ピアノの品質を落とすことになります。

第三は材木の輸入が困難になってきていることです。最近では、各国が輸出を制限していて、 ピアノの黒鍵に使われる黒檀はインドが原産だそうですが、必ず鍵盤という製品にしてからでないと輸入できないそうです。 つまり、響板も現地生産品を輸入することになり、メーカーが素材を厳選して響板を作るのが困難になっています。

良いピアノを作ろうとすると儲からない

響板には一本の木から一枚しか取れない柾目板を使います。家具と異なり響板に使う木材の品質はすぐ音に影響します ので寒冷地の硬く目の詰まったものを厳選します。一口に柾目板といっても切り出した木の育った場所や育ったときの 気候などで木目の詰まり具合が微妙に異なり一定ではありませんので、同じように作っても品質にばらつきが出ます。 このばらつきを修正するのにも職人のノウハウと手間暇が必要です。さらに、出来上がったピアノに出荷調整(調律など) を何度もしないと音は安定しませんが、手間がかかっても価格に上乗せできません。しかし、生産効率、採算性ばかりを考えると、 この非効率なことを省くことになり品質が落ちます。つまり、良いピアノを作ろうとすると儲からないのです。

ヤマハがベーゼンを買収する意義

ヤマハがベーゼンを買収したことに関するメリットとデメリットを考えてみました。

長所

1) ブロードマンの世界戦略に対し先手を打つことが出来ること。

2) 中国に高級ピアノ作りのノウハウが流れることを阻止できること。

3) ベーゼンのピアノの音をまねてピアノを作る正当性を得る事。

4) ベーゼンのブランドが使えること。

5) ベーゼンのピアノ製作のノウハウを吸収できること。

短所

1) ベーゼンの毎年出す赤字をヤマハが抱え込むことになること。

2) 採算の合わないベーゼンの製作システムをヤマハに取り込めないこと。

3) ヤマハの効率システムをベーゼンに入れるとピアノがベーゼンでなくなること。

4) ヤマハの製作システムをベーゼンに持ち込んでも職人が従わないこと。

5) 安物ピアノにベーゼンのブランドを使うと、ベーゼンのブランド価値を失うこと。

ヤマハの中にベーゼンのノウハウで生かせるものはあるとは思いますが、採算上出来ない事が多いように思われます。 それを承知の上での買収したのは、ベーゼンを傘下に入れることで、ベーゼンの音色に似せてヤマハがピアノを作り出す 正当性が出来る事にあると思います。今まで出来るのにしなかったのは、[他社の音をまねして作った]と揶揄されることに たいする世界のトップメーカーのプライドがあったからでしょう。

ベーゼンの最高級ピアノ[インペリアル]よりサンプリングしたデジタルピアノなどすぐ出来そうです。 ただ、廉価版ピアノにベーゼンのブランドを冠すると、ベーゼンのブランドイメージを落とすことにつながるので、 ヤマハのアクションにベーゼンの音色の味付けをした採算の取れる[ウィーンピアノ?]などの別吊で [ヤマハとベーゼンのコラボレーションによりできた一味違う高級ピアノブランド]というふれこみで出すのではないか と思っております。スタインウェイ、ベーゼンは良いけれども高すぎます。でも、ボストンや[ウィーン?]など 従来のヤマハやカワイと一味違うピアノが手ごろな価格で買えるなら・・・、と私もひそかに楽しみにしています。

今、世界のピアノメーカーのターゲットは中国にあり、ヤマハも中国で生産しています。多分、他のメーカーに先駆けて、 中国でヤマハブランドを浸透させたいと思っています。しかし、ブロードマンも中国で作っているという噂です。 中国は中国で各国からピアノ製作を請負ながらノウハウを吸収し、独自にピアノを作っていて、日本のメーカーの 脅威になりつつあります。しかし、音のプレミアム化はまだまだです。

世界で、フルコンサートピアノからアップライトピアノまでフルラインアップのピアノを作れるのは、 現在はヤマハ、カワイ、スタインウェイぐらいといわれています。ブロードマンは会社設立の経緯からして、 高級品はベーゼン、廉価版はブロードマンという棲み分けでしたので、どうもフルコンサートをラインアップに もっていないようです。それで、ブロードマンがベーゼンを買収してフルラインアップで中国に進出されると脅威になり、 おまけに、中国にプレミアムピアノのノウハウまでブロードマンから吸収されては、中国自体がピアノを 作り始めるでしょうから今後のヤマハの中国へ浸透が困難になってしまします。いずれは追いつかれるにしても、 中国へのヤマハブランドの浸透までの時間稼ぎが必要と考えたのではないでしょうか。

ヤマハが買収に成功

11月26日英タイムズは、1100万ユーロでブロードマンに決まりかけた売却先は金曜(11月23日) オークションの終了間際の数分で1400万ユーロまでヤマハが買収額を吊り上げ、勝利を手にしたと報じました。

ヤマハの勝利宣言は[生産はオーストリアに残し、179年の年月を経たブランドには触れない事をベーゼンのスタッフに保障する] と、ベーゼンの職人への配慮を示し、、さらに[今期の中国におけるピアノ製造を40%まで 増加させ25,000台にし、それを販売するためロシアに販売会社を設立することを公約、 また、中国にヤマハの音楽教室のネットワークを拡大して40ヶ所にする計画、さらに、上海、北京、広州といった 人口密集地の10,000の子供達に音楽レッスンを提供する]と、最大限の中国政府への配慮をしながらの注意深いもの であったようです。

ベーゼンのようなピアノは超高級ブランドとして、品質と音色は全世界に知られており、ベーゼンのピアノ作りに 手を加えてしまうとベーゼンでなくなってしまうことが泣き所です。結局、従来のベーゼンの生産システムには手をつけられず、 最終的には、毎年2億円の赤字を生み出す企業の負担に耐えかねて、またベーゼンは売りに出されるかも知れません。