山本眼科 山本起義
(2016年9月岸和田市医師会広報掲載)
○ピアノの鍵盤配列はどうしてあんなふうに(上図)なっているのか、 しばしば聞かれることですが、答えはそう簡単ではありません。今回は鍵盤楽器の歴史、音階そして音律の歴史からその回答にせまってみたいと思います。
T.鍵盤楽器の歴史からみる鍵盤配列
鍵盤楽器で有名なのは、オルガンですが、その歴史は古くて、獨協大学ドイツ学の木村佐千子氏の論文「ドイツ語圏の鍵盤音楽」によれば、 アレクサンドリアの技師クテシビオスKtesibios(BC.283-246)が紀元前3世紀ごろに発明した水オルガン「ヒュドラウリスhydraulis」までさかのぼります。
上は(仮名)聖バソロミュー(1475−1510)という氏名不詳作者の祭壇画とその一部の拡大したものです。「ポルタティーフオルガン(ポータブルオルガン)」といわれ。 右手で鍵盤、左手で「ふいご」をふくタイプで、中世に良くもちいられました。
上はベルギーのヘントのシント・バーフ大聖堂にある祭壇画Jan van Eyck (1390年頃?1441)作のものの一部拡大です。オルガンを弾いている絵画には、 奏楽の天使 『ヨハネの黙示録」5:11−15より天使たちとすべての生き物が「神の子羊」を歌い、24人の長老たちが子羊の前にひれ伏した。 と解説されています。現在の黒鍵と白鍵の配列がみてとれます。 初期のオルガンには、半音鍵(いわゆる黒鍵)をすべては備えていないものが多かったのですが、しかし、ハルバーシュタットのオルガン(1361 年完成)は、 半音鍵をすべて備えた最初期の例とされています。つまり現在の鍵盤配列がほぼ完成したのは、1361年ごろと言えると思います。
U.音律の歴史からみる鍵盤配列
グイード・ダレッツオの功績
音階に影響した「シ」の問題
11世紀のグィードの「ドレミ唱法」から1600年頃までの実に600年間も「シ」の地位は不安定でした。白鍵で「ドレミファソラ」と6音までで、 第7音目の「シ」を抜くとピタゴラス音律では「ラ」から「ド」までは全音以上に間隔が空き、「シ」を入れると「ラとシ」あるいは「シとド」の間隔が半音より短いものになるため、 「シ」は「帯に短し、タスキに長し」ということで不安定な地位に甘んじていたのです。
音階と鍵盤配列
平均律が一般に広がるのに時間がかかったのは何故か
古典調律
紀元前500年ごろ、ピタゴラス(学派)は、この世に無理数はないという、一種の宗教観ともいえる説を唱え、完全5度を12回繰り返すと、元の音に戻ると信じて疑わなかった ピタゴラスの考えはピタゴラス音律(上図)となり、一オクターブに12音を配列させる発想のもとになったのですが、ピタゴラス音律では、 半音階を構成する際に、A♭を省いてE♭からG♯までの12音を用いると、G♯からE♭への五度音程は、3:2の比率による純正な完全五度(約701.96セント)よりピタゴラスコンマ分狭い音程(約678.49セント)になります。
ねじの技術革新と平均律
バッハの平均律クラヴィーア曲集は平均律で演奏されたのか
バッハは「良く調整されたクラビーアのための曲集」と何故書いたのか
平均律時代の到来
鍵盤配列のまとめ
1)最初の鍵盤楽器はオルガンで、紀元前3世紀頃の「水オルガン」から始まるりますが、現在の鍵盤形式になるまでには紆余曲折がありました。
2)4世紀から10世紀の教会オルガンの鍵盤は全音階的で単音聖歌の旋律を奏しました。
3)9世紀には和声や対位法を持つ複音楽が出始め、正確に音を書きとどめるための「ネウマ譜」が登場しました。
4)複音楽(ポリフォニー)の演奏には正確な記譜法が必要で、11世紀の音楽理論家グィード・ダレッツオ(Guido d'Arezzo 991年または992年− 1050年)は、現在用いられる楽譜記譜法の原型を考案しました。
5)楽譜を歌うために、音名ではなく調性に関係なく歌える階名で歌えるように、グィード・ダレッツオ(Guido d'Arezzo)が「聖ヨハネの賛歌」の歌詞から「ドレミ唱法」を考えだしました。
6)しかし、当時の階名には最後の「シ」がありませんでした。このドレミ唱法に「シ」が入ったのは1600年頃、「ウト」は発音しにくいため「主」を示すDominusのDoに変更され「ド」と呼び変えたのは1670年ごろと言われています。
それで、「シ」が階名の最後にできたのは「ドレミ唱法」からおよそ300年間経過してからになります。その間「シ」の地位は不安定だったので、ドイツ音名も「B」と「H」の二種類が用いられていました。
7)14世紀になった1361年頃には現在のような半音階を全て備え鍵盤をもつオルガンが出来ました。ただ、平均律はまだ考案されておらず、古典調律で調律されたオルガンでした。
8)1361年頃から、倍音が発見される1636年までは、純正音律や中全音律という古典調律で調律されていましたが、1636年ごろには平均律が考案されました。
9)しかし、平均律が考案された1636年から1840年までの間は、技術的な困難さから平均律はあまり用いられず中全音律(ミーントーン)の次はベルクマイスター音律やキルンベルガー音律という古典調律が考案されました。
10)1800年にヘンリー・モーズリー(Henry Maudslay 1771-1831)の技術革新により正確なネジが工業生産できるようになり、
このネジを用いて1840年代に当時のピアノメーカーのトップ、ロンドンのジョン・ブロードウッド社が製造するピアノに平均律を採用したことが決定打となり、平均律の調律は一気に広まりました。